v2の設計 - 衆議院
v2では、立法府を二つの原理で分割する。衆議院は民意の府、参議院はプロフェッショナリズムの府である。両者は異なる原理で動き、異なる領域を管轄し、互いを構造的に抑制する。
衆議院は民意と内政を担う。ここは純粋に数で殴り合う府である。良識や熟議や専門性を混ぜ込まず、民意を数の論理として純化する。ただし、v1の民意が抱えていた構造的欠陥は除去する。時間軸の歪みと空間的歪みである。
余命連動選挙
衆議院の選挙では、投票の重みを余命に連動させる。具体的には、統計的余命に比例して投票の重みを決定する。二十歳の有権者の残余命が六十年、七十歳の有権者の残余命が十五年であれば、投票の重みは四対一となる。
この設計の論理は、民主主義の正統性の源泉である「結果責任」に直結する。余命とは、その有権者が共同体の意思決定の結果を当事者として引き受けると期待される時間の長さである。言い換えれば、余命は結果責任を背負うと期待される量の客観的な指標である。民主主義の正統性が結果責任にあるなら、発言権は結果責任の量に比例すべきである。
これは「利害の大きさ」の話ではない。未来の自分の利害を今の自分が正しく予測できるか、価値観が変わった時にどうするか、といった予測精度の問題ではない。予測が正しかろうが間違っていようが、その意思決定の結果を生きるのは本人である。他人が代わりに引き受けることはできない。結果責任は存在論的な引き受けの問題であり、予測や利害の話ではない。
v1の「一人一票」は、発言権を平等にしたが、結果責任は平等ではない。若い有権者と高齢の有権者が同じ票を持ちながら、結果を引き受ける時間の長さは何倍も異なる。これは発言権と結果責任のミスマッチである。余命連動は、このミスマッチを解消し、発言権を結果責任の量に一致させる。民主主義の原理を純化する設計であって、逸脱する設計ではない。
予想される反論は年齢差別である。しかしv1もすでに十八歳未満を排除しており、年齢に基づく差別を制度化している。余命連動は、v1の離散的な差別を連続的な重み付けに変えるだけで、原理的な差別度は下がる。
性別による余命の差は、制度設計では年齢のみを使用して無視する。所得や健康状態による個別の余命差も同様に、統計値で一律に処理する。ここに個別の要素を持ち込むと、制度が政治化する。
支持者比例投票権
議員の議会における投票権は、自らを支持した有権者の数に比例する。百万票を得た議員と十万票を得た議員は、議会で十対一の投票権を持つ。議員自身の意見表明は公平に尊重されるが、投票の重みは支持者数を反映する。
この設計は、v1の空間的歪みを一気に解消する。選挙区の区割りが投票権と無関係になるため、一票の格差は構造的に消滅する。落選候補に投じられた票も得票数として議員の投票権に反映されるため、死票が消滅する。地域代表の利害による政策の歪みも減少する。
さらに、議員個人の独立性が高まる。v1では政党の派閥力学が議員の行動を縛るが、支持者比例では議員個人の支持基盤が議会内の発言力を決める。派閥や世襲や利権による政党の劣化への抵抗力が生まれる。
余命連動と支持者比例は直交する軸である。有権者の投票が余命で重み付けられ、その重み付けされた票数の合計が議員の支持基盤を構成する。議員の投票権はその支持基盤に比例する。二つの補正が、一度の選挙で同時に適用される。
衆議院の純化
これらの設計により、衆議院はv1の歪みを除去した純粋な民意の府となる。時間軸で歪まない、空間で歪まない、民意そのものを数として反映する府である。
ここには熟議も良識も混ぜ込まない。純化された民意を、数の論理で処理する。民意の暴走を抑制する機能は、参議院との相互チェックで外部化する。衆議院内部で民意を抑制しようとすると、民意の純度が下がる。純度を保ったまま、外部から抑制される構造が重要である。