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第1章 存在の公理 ― 無を除くすべてはシステムである ​

存在を定義することは、哲学の最古の仕事であり、 同時に最も未完の課題である。 本書は、その問いに対して物理学でも神学でもなく、 システム論の言葉で答える。

ここでの公理は単純であり、しかし絶対である。

公理1:存在するとは、観測可能な秩序をもつことである。

公理2:無だけが非システムである。

公理3:存在とは、相互作用が可能であるということ。

1.1 観測可能性としての存在 ​

私たちは「存在するもの」を見るのではなく、 「秩序を観測できるもの」を存在と呼ぶ。 つまり、存在とは「物」ではなく「構造」だ。 山も、国家も、思想も、神も、 それが他のシステムに影響を与えうる限り、存在する。

幽霊や神話が「存在しない」とされるのは、 それが非物質だからではない。 それらが観測の網の目に入らないよう定義されたからである。 だが、もしそれが人間の創発活動を変えるなら、 その影響が観測可能である限り、それもまた存在だ。

存在とは関数であり、観測者によって定義される変数である。

1.2 システムと無 ​

ここで重要なのは、「無」は存在しないという逆説ではない。 無は、相互作用をもたないものとして、理論上の端点に存在する。 それは「ゼロ」のような概念上の位置をもつが、観測にはかからない。 ゆえに、無のみが非システムである。

この理解は、人間中心的な実在論を越える。 世界は「ある/ない」で分かれるのではなく、 「観測可能/非観測」で分かれている。 観測できる限り、それはシステムとしてふるまう。 観測できない限り、それは「無」として沈む。

1.3 相互作用の定義 ​

システムとは、相互作用を持つ単位の集合である。 ここでいう相互作用とは、物理的接触に限らない。 情報・信頼・期待・恐怖――いずれもエネルギーとして機能する。 それらが流れを形成する限り、それはシステムだ。

したがって、存在の定義は次のように書き換えられる。

1.4 存在の総体としての宇宙 ​

すべてのシステムは、他のシステムとの相互作用を介してのみ存在する。 その総和が宇宙である。 つまり、宇宙とは「存在の集まり」ではなく、 相互作用の網そのものだ。

この理解において、存在はもはや静的な「在り方」ではなく、 動的なプロセスである。

「存在する」とは、「生きている」と同義だ。

1.5 一般システム論の再起動 ​

この定義は、ベルタランフィがかつて示した「一般システム論」を 根本から再起動させる。

ベルタランフィの系譜は、 システムを観測・分類する学問として成立した。 しかし本書が扱うシステム論は、存在の条件そのものを扱う。 それは科学ではなく、存在論的な「公理体系」である。

したがって、この一章の命題をまとめるとこうなる。

無を除くすべてはシステムである。

システムとは、観測される秩序の一形態である。

観測とは、存在を成立させる行為そのものである。

1.6 次章への接続 ​

存在がシステムであるならば、 システム間の関係はどう構造化されているのか。 最小の存在(素粒子)と、最大の存在(宇宙)は、 どのようにして一つの円環をなすのか。

次章では、この関係の構造を明らかにする。 「最小と最大がつながる世界」―― そこに、創発の物理が始まる。

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